他人と生活を共にするということ
以前KATーTUNを見て結婚を決意した、みたいな記事を書いたのですが、有言実行しました。結婚したよ!
まあずっと同棲していたので気持ちの面では何も変わらないのですが、せっかくなのでジャニオタと結婚(というより共同生活の送り方)を書いてみようと思います。
スペック
私→アラサー社会人。週5フルタイム。内勤だとか外勤だとかひとくくりに出来ない職業。長年のジャニオタでここ最近若手俳優にも沼った。家事も働くことも好きではない。
夫→アラフォー社会人。週5フルタイムでとにかく激務。朝早い夜遅い。管理職になったらますます遅くなった。それでも毎日晩ご飯は家で食べる。趣味は家の掃除とガンプラ作り。休日出勤もする社畜。
よく結婚したら現場に行けなくなるのでは?などと聞かれますが、正直言えばそれはもう相手と自分の性格と関係性。あと自担の活動頻度による。
私は上記に書いた通りの「宝くじ当たらないかな~」が口癖の働きたくないでござる!の人間なのでとにかく定時で上がりたいし、平日だろうが休日だろうが行きたい現場は全部行きたい。許される限りは休んでやる精神です。
対する夫は社畜なので気付いたら週6で働いてることもざらでびっくりする。
本当の社畜は休みなんてないよ!とか帰ってこれないよ!とか言われそうだけど、取りあえず私の中の『社畜』という定義なので・・・。
そして生活費はまるっと夫です。同棲始めた頃私がまだ22歳とか新卒のぺーぺーだったこともあり稼ぎが倍以上違ったのでこうなりました。その代わりコンサートやグッズなどの娯楽費は当然自分で。あと化粧品や洋服も自分で出してね、という感じです。
というわけなので自然と家事は私が受け持つようになりました。
洗濯干すのとお風呂掃除だけはやってもらってるけど。
それで本題の現場に行ける?問題。
もうね~これ絶対自担によりますって!!同じジャニーズだからって一概に言えないはず。何故ならマッチとキンプリじゃ現場の数が違うから。
(例として上と下を出しましたがデビュー順です)
私の自担はKinKi(光一くん)ですが、まー緩い。本当に緩い。揉めるとしたらお正月ぐらいですが、それも夫から愚痴られた母親の「しょうがないわよー夫くんと光ちゃんじゃ光ちゃんの方が出会ってから長いんだからー」という一言で一応解決しました。ありがとうお母さん。
というかKinKi自体が年1の計4回しかコンサートしないんだからオタクの現場もそれだけなんですよね。あとは夏や冬の大型の歌番組だけどこれは基本的に行かないからスルー。拘束時間が長すぎる。番協があるグループも現場は増えるんでしょうけど、KinKi番協年1であるかどうかだから・・・。
そして大事なSHOCKの舞台ですがこれも全通なんてことははなから考えないので、2月2回3月2回をベースにして行ってます。多少の増減はあるけどここ数年はそれぐらいのペースです。大阪福岡は1回行ければいいかなーという感じです。
この状態で現場行き過ぎ!と言われたら流石に私もきっと結婚する前に別れてただろうなと。
だからきっとコンスタントにコンサートがあるグループが自担だったら大変だろうなぁと思います。全国回られちゃうと余計に大変だよね。たまに旅行がてら夫と一緒に回る人もいるみたいだけど、私はジャニーズは夢の世界なので現実の夫はそこにいられると困るなぁって思うので一緒には回れないです。
そもそもうちの夫は行かないって言うから悩みようがないけど。
私自身が去年の秋口辺りから唐突に若手俳優にも手を出し始めたので、それも入れると現場の数は急増しました。びっくりするぐらいあの子達仕事するから私も週2とかで通ったよ現場!
そこで若干「何でそんな家空けるの!?」と言い争いになったのですが、これが難しいところで。
現場だけなら週2ぐらいだけど、その合間に友人と会ったり仕事先で飲み会があったりと社会人としてのメンツを保たなきゃいけないことが多いんですよね。
そうすると週の半分以上いないとかがざらで、それが彼的にはおかしくない?となったようです。「出張なり旅行なら分かるけど、普段の生活でそれを続けるの?」と聞かれた時には目玉がぽーんと出そうになりました。
続けるも続けないもそこに推し(若手俳優界はこう表記するそうですね)がいれば行くしいなければ行かないよ・・・というテンションだったのですが、そこから懇々とこの先の日本経済及び自分の稼ぎからの老後生活の話をされて最終的に「生活を共にするっていうのは相手の人生にも責任を持つっていうことだよ」と諭されました。
いやねー分かってるつもりではいたんです。結婚しようと思った時に。
でも全然分かってなかった。まだ守られてる子供の気分が抜けてなかった。
『責任を持つ』
重いなー。でもそれが人生を分かち合うっていうことなんだよなー。
幸いにもジャニオタ辞めろとかそういう趣味を否定するようなことは言われてないのですが、「あなたの生活の軸はどこなの」と聞かれてしまったのである程度の取捨選択はするようにしました。
私の自担は光一くんで、あと人生を変えてくれたKAT-TUNの現場に入れればあとは余裕があったらというスタンスに変更しました。
この秋には宝塚も観に行く予定ですが、色々手を出しても理性は保つように頑張っています。
正直窮屈だなーとか、何で一々予定をすり合わせなきゃいけないんだ!という不満は何年一緒に暮らしてもありますが、でもそれって本当に当たり前のことなんですよね。
一緒に暮らす以上お互いの予定を話し合うことは最低限のルールなんだと思います。
じゃないと一緒にいることを選んだ意味がない。
そう言い聞かせてるけど、やっぱり休みに家の掃除と若手俳優の舞台なら舞台の方がいいよな、と毎回思う自分がいます(笑)
上手いことバランス取るのが難しいなー!!
去年のPartyは姉と色々おそろいにして行ったのでした。
去年楽しかったな・・・と思い出して引っ張りだした写真。
わーんもっとKinKiに会いたいよー!!!
幼馴染みとKAT-TUNと私の10ks
KAT-TUNの充電が完了したので長らく放置していたこれを忘備録としてあげておきます。
書いたのは2017年の9月頃かな?口調が大分硬いことからも当時の自分の余裕のなさが窺えますね。
当時のままの感覚なので今とは大分ずれてるとは思うのですが、その辺はご容赦を。
UNIONにも行ってきたのでまたその話も書きたいな!
この間ようやくKAT-TUNLiveDVD10ks!のDVDを最後まで見ることが出来た。
disk1は何度も何度も繰り返して見ていたけれどdisk2は勇気が出なくて見ることが出来なかった。
キミノユメボクノユメは私と友人の間ではトラウマ曲と呼ぶぐらいあのイントロが流れるとそれだけで涙腺が緩むというレベルなので、
映像で見たらそれこそ泣きはらすのが目に見えている。
あとは本当にKAT-TUNが充電期間に入ってしまったんだなという事実を改めて直視したくなかったことも最後まで見ることが出来なかった理由かなと。
この夏は長時間の歌番組特番をいつになくリアルタイムで見れることが多くて、多くのジャニーズを見たけどそこにKAT-TUNがいないことが『充電期間』なんだということを思い知らされた。
KAT-TUN良い曲いっぱいあるのになー。ここでシングルじゃなくても披露出来ればいいのにな、とジャニーズオールスターメドレーを見ながら何度も友達にLINEしていた。(ちなみに友人達とのグループ名はその名の通り充電期間)
この友人、所謂『亀担』なので亀子と呼ぼうと思う。
亀子と私は幼馴染と呼ばれる類で、それこそ生まれた時から一緒に育ってきた。お互いの家のアルバムを漁れば他所の家なのに自分が写っているという恐ろしいレベルである。
そんな中で私と亀子はすくすくと共にジャニオタとして育ってきた。
私達が小学生の頃、KinKiの人気はとてつもないものでそれこそ毎日どのチャンネルを見ても彼らがいたという時だった。
ジャニーズが特別好きでもない子達でも自然と「剛派」「光一派」なんてものがあったぐらいで、土曜の夜は金田一少年の事件簿を見ないと月曜の学校の話題についていけない、なんて時代だったのである。
ファン心という種が金も時間も費やすオタクの花を咲かすまで、一人ならばゆっくり育っていくはずが共に熱狂する相手がいると花を咲かせる瞬間までが本当にあっという間だったことを私は身をもって知っている。
私は亀子が居たからこんなにも長くジャニーズという世界に浸っているのだ。そして亀子が居たからこそ、KAT-TUNを応援したいと思えるようになったのである。
私は親戚のお姉さんにデビュー前のKinKiコンに連れて行ってもらったことによりジャニオタ化した。
しかし親戚のお姉さんというのはそうそう会えるものではない。何せ携帯電話も何も無かった時代なのだ。連絡を取りたいと思っても親に頼むしかない不自由さに私は焦れた挙句中学入学を機にFCに入会することにした。
そこで共にコンサートに行くことになったのが亀子である。東京ドームまで片道一時間はかかる片田舎に暮らす私達をコンサート(しかも年末年始)に行くことを親が許したのは共に行くのが幼馴染だったからというのが大きかったのではないかなと今では思う。
そして亀子と二人でKinKiコンに行くこと数年、光一よりは剛が好きだと言っていた彼女は唐突に「この子が好きなんだ」と私に雑誌を見せてきた。
そこに載っていたのはまだまだ全然あどけなさが残る亀梨和也だった。
率直に言おう。その時の私の感想は「ガキじゃん」の一言だった。
それなら私はその横のこっちの方が好きだわと指差したのは赤西仁。KinKiの完成された顔に慣れていた私には当時のカメの良さが今一つ分からなかったのである。しかし当時の写真を見る度にやっぱりこのカメを可愛いと言い張った彼女は中々すごいなと改めて思う。
そして亀子は今の言葉でいう「担降り」をしたのだった。それ以来ずっと彼女は一途に亀梨和也を見続けている。
私はその頃POPJAMという光一さんが司会をやっていたNHKの番組に結構な頻度で参加していた。そしてその日、そうKAT-TUNがKAT-TUNというグループになった日を直接あの会場で見たのだ。私はずっと「亀子!!!!」と心で彼女を呼んでいた。
その知らせを聞いた亀子は「かとぅーん」と大切そうにその名を口にしていた。「KAT-TUNの亀梨和也です。って挨拶するのかぁ」なんてちょっと照れた様子で言っていた。
私はそんな亀子に「仁は二番目だから言わなくてもいいのにKAT-TUNの赤西仁です、って言いそうだよね」なんて言って笑っていた。
ずっと、こうしてKinKiとKAT-TUNは続いていくんだと思っていた。
SHOCKがまだ今みたいな形になる前、KAT-TUNが光ちゃんのバックについてたあの頃、私と亀子は赤西仁と握手をしたことがある。Jrが客席に降りてくる演出だった。
舞台では声を出してはいけないというマナーを必死で守ろうとした私達は最終的にお互いの太ももをつねることで我慢した。
あの瞬間のときめきは今でもありありと思い出せる。本当に好きだった。
このまま6人でKAT-TUNとしてずっと存在していくんだと信じるというよりも、疑わなかったから何も考えなかった。
本当にまさかメンバーが抜けて半分になって10周年を迎えて休止するなんてそんなこと予想もしていなかった。
KinKi自体も確かにグループとして色々あった。何度もこのまま解散するんじゃないかと思って泣きはらしたこともあった。
それでもKAT-TUNに対しては何だかんだ言いながら6人でわちゃわちゃやっていくんだと思っていた。
仲良しこよしじゃないからこそ、続いていく絆があるんだと。
いつかSMAPとKinKiみたいな距離感がKinKiとKAT-TUNでも見れたらいいななんて思っていた。
それがいつからこんなことになったのか。
コンサート中に外さないサングラス、トロッコにしゃがみ込みスタンドからは全く見えない彼の姿に戸惑っていたのはファンだけじゃなかったことも今となっては充分理解出来る。
腫れ物に触るようなあの雰囲気は言ってしまえば地獄みたいなものだった。
「しんどい」と漏らした彼女の一言は心からの本音だったんだろうなと思う。
だから彼が最初にグループを脱退すると聞いた時、「ああ良かった」というのが正直なところだった。
一人でも脱退すればグループにとっては痛手かもしれないけど、それでも彼はKAT-TUNの中にいちゃいけないともう分かっていたから。
そうして彼はグループだけでなく事務所からも去っていったけど私はこれでもう安泰だと思っていた。
だけど結局KAT-TUNは3人になったし、グループとしての活動はしばらくしないという決断を彼らは下した。
解散しない為の充電期間だということは重々承知しているけど、確実なことなんて何一つないということをKAT-TUNというグループが最初に教えてくれたのだから世の中って皮肉だな。
10Ksのオーラス日、天井席から見る赤いペンライトの光はすごく綺麗で、横の幼馴染をそっと見たら彼女は静かに泣いていた。
こんなに長いこと一緒にいたのに、彼女が泣いている姿を見るのは初めてでその瞬間私もまたどうしようもない程涙がこぼれていた。
寂しいなー。充電に入るだけなのにすごく寂しい。解散じゃないし、個々での活動はあるというのに『KAT-TUN』というグループの拠り所が無いとこんなにも不安になるものなのか。
どうか中丸くんが「大体2年」と言ってくれていたその期間で充電期間が終わって彼ら3人が笑顔でまたステージの上に立ってくれますように。
そして私の幼馴染が笑って彼らを迎えることが出来ますように。
UNIONコンを見て結婚を決意した話
もう5月!?
不満の秋も過ぎ去り栄光の冬が訪れ・・・(SHOCK第二幕シェイクスピアの真似)
KinKiファンにとっての栄光の冬はあれれ?どこに行ってしまったのかな?みたいなコンサートが終わってからもう4ヶ月経ったのか・・・。(ペンライトを振らないと東京ドームも京セラドームも凍えるぐらい寒いという斬新な体験をした)
月日が経つのは本当に早いものですね。
KAT-TUNが充電期間に入ってから2年も経ったんですね、ということで
KAT-TUN LIVE2018 UNIONに行ってきました!!
(このとんちきなデザインのペンラも三人をハイフンで一つにまとめる、的な意味を知ってからとても愛しいです・・・。間接照明にしてねと言われたのでベッドサイドに照明代わりにしてます。)
詳細なレポは出来ない(はなから諦めている)のであくまで私の防備録です。
運良く同行する友達とバラバラでチケットが取れたので3日間の日程全て行けることが出来て「うちらの日頃の行いを神様は見てるね!」なんて言っていましたが本当にたまたまだと思います。
ずっと楽しかった~皆尊い~お金かかってるステージさいこー!
などという頭の緩い感想しか話し合っていない偏差値の低い私達に德も何もない・・・。
三塁側スタンド、アリーナ前列、天井席、と三日間全て別の場所から見ることが出来たので飽きることもなくとても楽しめました。
アリーナでは中丸くんが割と来てくれるブロックだったので「ゆっち~!ゆっち!!ゆっち!!!!」と叫んでいたら「ここ(ブロック)すごいね!?もう盛り上がってることは分かった!」と言ってくれたのが満足です。
普段気恥ずかしくてゆっちとか呼ばないのにこういう時だけ呼んでしまう・・・。
KATーTUNは三人とも割とうちわとか見てますよね。
上田君は結構ファンサしてくれるイメージです。しゃがみ込んで笑ってくれたりしてるし。そういうのを見るとあージャニーズ!と思います。
キスマイ担に言わせるとそれでも自作うちわ少ないらしいですが、KinKi担から言わせれば自作うちわがあるだけすごいよ・・・華やかだよ・・・。
KinKiのコンサートでも自作うちわあるけど、それってよくある「ピースして♡」とかじゃなくて「お誕生日おめでとう」とかのメッセージだもんね。
まあ遠くは見えません、近くは見ません!って言い切ってる人とお手振りはしてくれるけど視線は違う方向を見てる人に向けて「ピースして♡」は作ったところでなぁとは私も思う。
私が唯一作ったうちわはジャニーズ野球大会での「化け猫きたよ!」という物でしたね。あの時は席が最前列だったことと、光一さんの「俺のファンなんてだーれもこない!」と言ってたのでそんなことないよ!気付いて!ということで睡眠時間削って作りました。※光一さんはファンのことを子猫ちゃん♡と呼んでくれる手越くんに対して自分のファンのことを化け猫と呼んでいた時期があります。
でもうちわ作るのって楽しいよね!私も夏のツアーでは久々に作ろうかなぁと考え中です。でもKAT-TUNに関しては皆好きだから名前とかにしたらうちわ3本になってしまう。どう持つんだという話。
前置きが長くなりましたが、そう、結婚しようと思いました。充電期間を終えたKATーTUNを見て。
私のスペックとして今年30歳になったギリギリ昭和生まれのOLです。
10年近く付き合っている彼氏と7年程同棲しています。そもそもとして結婚を前提にお付き合いしていたのでいずれ結婚というのは念頭にあったのですが、のらりくらりと向こうがというよりは私自身が避けていました。
それは姓が変わるのが嫌だとかそういうことだけではなく、良くも悪くも私は自分が好きだったので、ずっと何者にもなりたくなかったんですよね。
『私』という存在以外に役割を持つのが怖かった。
両親の娘という役割は生まれた時からあったのでそれ以外の自分で選んだ役割『妻』であり『夫』というようなものを持つのがとても怖かった。責任から逃げているのでは?と言われることもあったけど何だろうなー責任逃れとはまた違うんだよなーと思っていたのですが、今回復活したKATーTUNを見て、「ああ私は怖かったんだ」と実感しました。今の自分に満足しているので(多かれ少なかれのこうなりたいとかは勿論あるけど)この先に進んだ時にこんなはずじゃなかったと思いたくないという恐怖がそこにありました。
言ってしまえば変わらないんですよね。日常が。
ジャニオタになってからずっと愛してきたKinKiは色々あったにしてもKinKiとしてそこにいてくれたし、同棲を始めても趣味を控えるというようなことはせずに済んで今日ここまできています。
日常が幸せだから何も変えたくない。変えることによって上手くいっている全ての関係がこじれたり不幸になるぐらいなら現状維持でいたい。
変化は不幸になる
そう信じていたのだと思います。
去年のSMAPの件からジャニーズですら変わらないものはないのだと思い知らされていた毎日でした。
だからちょっとした変化ですら恐怖でしかなかった。
光一さんが外部の舞台に出るよという情報ですら「嬉しいけど外部は嫌だな・・・」と思ったり、剛くんがソロコンやるよと言われれば「耳大丈夫なん・・・?ソロで出来るってことは年末のコンサートは例年通りのものを見せてくれるん・・・?」と勝手に不安になっては落ち込んだりしていました。
KATーTUNのこともデビュー前から知っているからこそ、メンバーが減ったことをファンでもない人達からネタにされる度に「6人のままだったら今頃嵐並に国民的なアイドルだったんだからな・・・!」と思ってしまったりしていました。
メンバーが減ったことを私はKATーTUNにとってマイナス要素だと思っていたのです。
勿論どんな時だってその時のメンバーが一番なのですが、どうしてもそう感じてしまっていました。現に充電期間をもうけたいと言った時でも、メンバーが誰も辞めなければこんなことにはならなかったのに・・・と呆然としたことを覚えています。
でも、今回のUNIONを見てKATーTUNが、『今の』KATーTUNが一番好きだと思えました。オープニング辺りで3人がそれぞれの手を重ねるシーンがあったのですが、その手が微かに震えていたのを見たその時に「ああそうか、彼らだって怖いんだ」と何か殴られたような衝撃を受けました。
去年の夏のKinKiパーティで光一さんの言っていた「あー!良かった!お客さんいた!」という言葉。KATーTUNの震える手。それが全部相まってその瞬間「あ、結婚しよう」と本当に自分でも驚く程すっと思えたのです。
キラキラした彼らが好きで、その裏にある努力はほんの少しだけ見せてもらえればそれだけでいいと思っていました。彼らも人間だから嫌なこともあるだろうし自分の思い通りになることだけじゃない。そんなことは分かっていたつもりでも、彼らのステージに立つということの意味を私はもっと甘くとらえていたのかもしれません。
いつだってステージに立つということは変化していくということなんだ。
そして変化する上で悪いことも起きるかもしれない。今日は上手くいっても明日は分からない。だけど、何度だっていつだって最高の瞬間に出来る可能性はあるんだとこのコンサートを見て気付かされました。
だって現にKATーTUNは最高の瞬間を見せてくれたから。
変化することもそう悪くはないよということを教えてくれたから。
というわけで彼氏に結婚しようと言ってきました。
急にどうしたと驚いていましたが、話をしたらゲラゲラ笑いながら「仕方ないKinKiとKATーTUNの為にも結婚しようじゃないか」と言ってくれました。
ジャニーズが好きじゃない人生がもう想像出来ないほどジャニオタが染みついてしまった現世だけど、改めて思います。
ジャニーズが好きで良かった。
こんなにも自分の人生を彩ってくれるものがあって良かった。
彼らがいなかったらきっと結婚という事柄でもこんなに深く考えることはなかったと思います。
今まではただ享受するだけだったけど、これからは一緒に最高の瞬間を作っていきたいな。
KinKi KidsParty! ありがとう20年がとてつもなく楽しかったよという話
先週の土日横浜スタジアムで行われたKinKiPartyに行ってきました!
有難いことに15、16日両日行くことが出来て本当…もう、超満足…みたいな気持ちです。詳しいレポはもっとちゃんと書いてくれる方がいるでしょうから自分用の忘備録として残しておきます。
15日(土)
初めての浜スタ。
神奈川生まれ神奈川育ちだけど横浜には滅多に行かない生活を送っているために横浜で迷う。みなとみらいと横浜駅って違うのね。同行者に歩けないの?と聞いて無理だから!と答えられビックリする。
そして野外は初めてなので、ギリギリに到着するようにしたらアリーナに降りれず死ぬ思いをしました。よっぽどの満員電車でもここまでの潰され方は中々無い…。
鞄も服も一応は無事で一安心しながら慌てて座席へ。座ってうちわを出した瞬間影ナレで光一さん登場。この段階でまだ座席は空いてました。まだまだ入口すったもんだしてたもんなぁ…。
光一さん「良かった~お客さんいる~」というようなことをホッとした感じで言ってました。
「それでは皆で呼んでみよー」という光一さんの掛け声に合わせて会場全員で「剛くーん」と。そしてスクリーンに登場する剛くん。左耳がマジックで使うような大きなおもちゃの耳に付け鼻、付け髭と出落ち感満載でした。会場爆笑。
そして光一さんの「剛くんの口から現状を説明してあげて」とのことで剛くんがスケッチブックに絵を描きながら現状を説明してくれました。
イラストと語り口はコミカルだけど、どう考えても良くはない状況で笑いながらも内心不安で不安でたまりませんでした。
ステロイド剤だの鼓膜注射だの改めて考えれば考える程、剛くんも光一さんも心配でたまらないだろうな…。
それでも二人はいつもの二人でした。あれ?剛くんただ単に海外ロケとかで来れないだけなんじゃないかな?と錯覚してしまうぐらい。
そのままスクリーンに剛くん、影で光一さんという状態のままお話しすること数十分。
ようやく光一さんが剛くんの口から登場(する演出)
タキシード姿の光一さんが暑い暑い連呼する中、「光一何着るか聞いてあいつ間違ったなーと思ってましたよ」と笑う剛くん。
すっっっごく似合ってましたけどやっぱりね、野外でタキシードは無理があるよねw
タキシードは結局中盤で脱いでました。その時上半身裸になったけど会場「ぎゃー!!」
「きゃー!」じゃなくて「ぎゃー!!」なところが本能に忠実で好きですKinKiファン(笑)
光一さんの身体やばかった。本当に鍛え上げられてて肩とかサイボーグかな?みたいな感じでした。
そしておもむろに着替えたTシャツの柄がまさかのデビュー当時の剛くんの顔www
「普通のTシャツ用意しといて言うたんやけど」と唇尖らせてましたけど表情はにっこにこでした。そして剛くんもじゃあ俺も着替えるわーとのことで着替えたら、今度は光一さんの顔がプリントされたTシャツw
これには光一さんも爆笑。二人でお互いの顔をなでなでしながら歌ったりしている姿が本当に可愛くて、ここが天国…!!みたいな気持ちでした。
この日ゲストに来てくれたのは斗真くんと長瀬くんでした。
歌ったのは斗真くんが雨のMelody、長瀬くんは全部だきしめて、硝子の少年。
斗真くんが汗びっしょりで恐縮しまくりなのが可愛かったです。
「いやー今は立派な俳優さんになってー」と二人からいじられまくりで可哀想になるぐらいでした(笑)
長瀬くんはテレ東音楽祭の裏話から始まって
「終わった後お礼のメールしたら全然いいよって言ってくれて。むしろあそこで俺を選んでくれなかったら嫉妬してたって返してくれて本当に嬉しかった」的なことを光一さんが言ってました。
その流れで「硝子の少年を他の誰かが歌っても嫉妬する」という長瀬くんに「じゃあ一緒に歌う!?」と誘う光一さん。
「いやそれは駄目でしょ!!」と長瀬くんは遠慮するけど光一さんの誘いにのる形で硝子の少年を歌いました。
「剛くんは…あっ、踊ればええんちゃう?」と相方にデビュー曲のバックダンサーをさせる光一さん。いいのかそれでwwwその後剛くん何か長瀬くんに冷たいような気がしたよ!※あくまで私の主観です。
終わった後も長瀬くん光一さんにチューするわ二人のいちゃいちゃがすごかったです。
長瀬「あーやっとチュー出来たー!」
光一「お前何言うとんねーん!またBL言われるやろ!」
長瀬「びーえるじゃないよ!ベーコンレタスだから!」
推してるアイドルの口から『びーえる』という単語を直接聞かされ、にやにやするやらもごもごするやら、せっかく化け猫になったのにただの変なババアに成り下がってしまいました。
Party自体は何曲か歌って、過去の商品化されてないコンサート映像を見ながら二人で振り返ろうみたいな流れでした。
A so boコンサートとか懐かしすぎて涙出そう。
剛くんの愛してる愛してないが見れて、それだけでも価値があるPartyでした。
光一さんが昔の映像を見ながら「これ!この感じ!これ剛くんって感じ!!」ときゃっきゃしてたのも可愛かったです。
光一さん本当に剛くん好きだよね。いや勿論剛くんも光一さん好きでしょうけど。
昔のコンサートのリストとかA4ファイルに入ってそれを二人で見てたんですけど、その資料が「The、資料!!」って感じで本当に何やるか決めてなかったんだなあとそういう小物一つで分かりました。
だってああいうクリアファイルに表紙がパワポで作ったやつ社内会議とかでよく見るやつ…。決して客先では出さないやつ…。
うろ覚え歌った曲リスト(15日)
Hey!みんな元気かい?
FRIEND
ひとりじゃない
to Hert
全部抱きしめて
硝子の少年
anniversary
剛くんパートはお客さん皆で歌ったのですが、すごい皆声出してて本当に大合唱だった!二人もすごいやん!鳥肌立ったと喜んでくれて、少しでも二人の心配事が消えればいいなと思いました。やっぱり二人が笑ってくれるのが一番だよー!!
すごい15日だけでもう2000字以上になってしまった!
16日も書くとすごい長さになりそうなのでそれはまた後日にします。
剛くんが二日間共スクリーン越しとはいえ、終わるまでずっと一緒にいてくれてそこにすごく救われました。
早くて一緒のステージに立てるのが冬のドームとのことなので、それまでに少しでも剛くんの突発が良くなりますように。
光一さんが剛くんの突発の突発が~と言っていたので、私も難聴とは言わずに突発と呼ぶことにします。病名としても言いたくないのかななんて深読みして泣いてしまう…!
ジャニオタ、宝塚にはまりかける
すごく久しぶりのブログ…!
改めて去年の全国ツアーのことを考えると病んでたなーと思います。
でもあの時の絶望感は今でも蘇りますよね。
あ、今年の20周年Partyは無事に当たりましたが、銀魂高杉のムビチケは買えませんでした。転売屋への悪の気持ちは変わらないよ!
さてさてタイトル通りですが、ついに宝塚にはまりそうです。
あの宝塚歌劇団です。
先日親知らずを抜いて、その痛みと腫れが思っていた以上に凄まじいものだったので急きょ会社を休んで3日程ぼんやりしてました。
人間食べないと立ち上がることもままならないということを再確認。
そこで昼夜問わずソファーで横たわりながら色々テレビを見ていたらこれ
(テレビボードの上が汚くて申し訳ない…)
何だかんだで朝方まで見てて、こんな夜更かし社会人になって初めてレベルだったけど眠気が起きない!何これすごい!めっちゃキラキラしてる!!と大興奮。
元々いい年こいてキラキラ大好き人間なので「あ、これやばい」と本能が黄色信号を出してます。
今年の夏はそもそもParty2日間とキスマイに亀梨君のソロコンが待っているというのにこれに宝塚が加わったら流石に私はアラサー女性として大丈夫だろうか。
久々に何かにハマるそわそわ感が楽しくもあり恐ろしくもあります。
チケット全滅したアラサー女の思うこと
KinKi Kidsの17年振りアリーナツアーに申し込んで全滅した。
全公演を諦めるという選択をようやくすることが出来たので記念にその時の気持ちをブログに残して置こうかなと思い帰りの電車内で書いてます。
申し込んだのは東京、広島、福岡で他の地方は申し込まなかった。全部申し込むにはアラサーには厳しい日程だった。
これが学生だったら単位なんて知るか状態で全部申し込んでたと思うから仕事ってすごいなと思っている。
まぁそれは別としても20周年だ!お祝いだ!と浮かれ気分でいたのでまさか落ちると思わなかった。
ファン歴という言葉はあまり好きではないけれど(夢中になって追いかけている時期もあればそれこそ茶の間で満足してた時期もあるから)その歴でいけばそれこそ20年以上KinKi Kidsを見ている。改めて考えると人生の半分以上だということに自分でもビビる。そしてその中で初めて全滅という憂き目に遇った。
実は私、外れたことないんですよねコンサート。
と今では殴りたくなるような言葉を言い放っていた先月に戻りたい。
そう、こんなに長いことファンをやっていてコンサートに外れたことは無いしそれこそそこまで悪い席にあたったことも無かった。東京ドームという会場でも基本はスタンド前列だったし良ければセンター前列という恵まれていた私にとって正直チケットが取れないというのちょっと意味が分からないな?ぐらいの気持ちでいた。
でも今回は会場のキャパがまず小さいしお祝いイヤーだから申し込みも多いだろうからなぁ〜まぁ1公演しか当たらなくても仕方ないなぁ〜程度の感覚は持っていた。
しかし深夜12時を過ぎても電話が繋がらないという時点でパニックになったことを今でもありありと思い出せる。あれ?これ何で?どれだけの人が申し込んだの?と。
最終的には家電、自分の携帯、同居人の携帯、会社の携帯という4台をフル稼働させてようやく1台繋がった有り様だった。
繋がった!と渡された電話を受けとる手も震えていたことを覚えている。
その震える手はペンを持っていた。当選した日程に丸をする為のペンだった。それは結局役目を果たすことなく2分後にはテーブルに叩きつけられる羽目になる。
ついに今まで聞いたことの無かった台詞を耳にする時が来てしまった。
「チケットをお取りすることが出来ませんでした」
理解したくない言葉を言われると瞬間的に脳がシャットアウトすることも私は日常で初めて知った。
え?何言ってるの?誰?
と脳内で自分がぐるぐる疑問を投げ掛けていた。
今考えれば誰も何も自動音声なんだけどね!はは!
そして速攻で開くチケットキャンプ。チケットを買う為ではない。光の速さで出ているであろう転売屋を確認する為である。
いたよね。うん、分かってはいたけどわらわらいたよね。
定価9000円に対して10万超えがざらで「馬鹿じゃねーの」という気分だったし何でこの人達が当たって普通のファンが落ちなきゃいけないんだ事務所どうにかしろよという気持ちでいっぱいだった。
正直悔しくて涙が滲んだし、それは私だけじゃないこともTwitterを見ていたら分かった。
転売屋にファンは苛立っている。それこそジャニーズだけじゃない。
この間は新聞にも転売反対の広告が出てたけど、それを見て正直ジャニーズは言葉だけだろうなと思ってしまった。
だってやろうと思えばこのご時世システムは作れるもの。でも悲しいかな今の所聞く転売対策はジャニーズの仕組みに沿ってない。よくジャニオタじゃない人からは驚かれるけどジャニーズのコンサートは基本的にFCに入ってないと申し込むことすら出来ない。他にもやり方があるのかもしれないけど私には分からない。下の子達だと一般もあるのか?
とにかく言いたいことはFCに入らないと申し込めない。それは=複数名義を持つ人達を大勢生むということだ。だって皆当選したいもんね。その気持ちは今回痛い程分かる。複数名義に否定的な自分だって何回も地方にいる友達に名義貸してって言いたくなったし。
転売対策は本人確認をしっかりするということで繋がる為に、複数名義で申し込んでる人達には不利益だろうなぁと素人目では見ているのだけど、結局それを黙認しててそこで利益を得てる事務所がそこまで対策を本気で取ろうと思うだろうか?っていう所で事務所を無条件に信じることが出来ない。
そんなに高くなくても母数が増えれば大きな収入だから、正直複数名義を持ってくれるファンの方が有り難いよねと穿った意見を持っちゃうことがもう悲しい。(その辺のFCでの収益は今週の文春が書いてましたね。流し読みしただけだけど結構な金額だった覚えがあります)
転売屋なんてダフ屋という形で何年、それこそ何十年前からいたけれど、それが一般のファンにとってそこまで気にならなかったのは『見ようとしなければ気付かない』ということが出来たからじゃないかななんて考えている。
ドームの周辺でうろうろしていたおじさん達は明らかに怪しくて、そこに足を踏み入れてはいけないという危機感がまだ小中学生だった私にはあって、そこはあくまで関わろうとしなければ知らずにいられた世界だった。
けれどもうそれは遠い過去だ。
今となっては決して怪しくない『普通』の彼らがすぐ横に立っている。
転売する側だけではない。『運』という目に見えないものではなく確実な金という力で大好きな人を近くで見れるということを知ってしまった私達には自制という言葉だけではもう戻れない世界が既にここにある。
今の所するつもりはないが、これ以上事務所が抜本的な対策を取ってくれないというならばいずれ私も複数名義を持つことになるのかな…と半ば悲観的な予測を立てている。