夢の浮橋

愛していると言ってくれ

幼馴染みとKAT-TUNと私の10ks

KAT-TUNの充電が完了したので長らく放置していたこれを忘備録としてあげておきます。
書いたのは2017年の9月頃かな?口調が大分硬いことからも当時の自分の余裕のなさが窺えますね。
当時のままの感覚なので今とは大分ずれてるとは思うのですが、その辺はご容赦を。
UNIONにも行ってきたのでまたその話も書きたいな!



この間ようやくKAT-TUNLiveDVD10ks!のDVDを最後まで見ることが出来た。
disk1は何度も何度も繰り返して見ていたけれどdisk2は勇気が出なくて見ることが出来なかった。
キミノユメボクノユメは私と友人の間ではトラウマ曲と呼ぶぐらいあのイントロが流れるとそれだけで涙腺が緩むというレベルなので、
映像で見たらそれこそ泣きはらすのが目に見えている。
あとは本当にKAT-TUNが充電期間に入ってしまったんだなという事実を改めて直視したくなかったことも最後まで見ることが出来なかった理由かなと。

この夏は長時間の歌番組特番をいつになくリアルタイムで見れることが多くて、多くのジャニーズを見たけどそこにKAT-TUNがいないことが『充電期間』なんだということを思い知らされた。
KAT-TUN良い曲いっぱいあるのになー。ここでシングルじゃなくても披露出来ればいいのにな、とジャニーズオールスターメドレーを見ながら何度も友達にLINEしていた。(ちなみに友人達とのグループ名はその名の通り充電期間)

この友人、所謂『亀担』なので亀子と呼ぼうと思う。
亀子と私は幼馴染と呼ばれる類で、それこそ生まれた時から一緒に育ってきた。お互いの家のアルバムを漁れば他所の家なのに自分が写っているという恐ろしいレベルである。
そんな中で私と亀子はすくすくと共にジャニオタとして育ってきた。
私達が小学生の頃、KinKiの人気はとてつもないものでそれこそ毎日どのチャンネルを見ても彼らがいたという時だった。
ジャニーズが特別好きでもない子達でも自然と「剛派」「光一派」なんてものがあったぐらいで、土曜の夜は金田一少年の事件簿を見ないと月曜の学校の話題についていけない、なんて時代だったのである。
ファン心という種が金も時間も費やすオタクの花を咲かすまで、一人ならばゆっくり育っていくはずが共に熱狂する相手がいると花を咲かせる瞬間までが本当にあっという間だったことを私は身をもって知っている。
私は亀子が居たからこんなにも長くジャニーズという世界に浸っているのだ。そして亀子が居たからこそ、KAT-TUNを応援したいと思えるようになったのである。
私は親戚のお姉さんにデビュー前のKinKiコンに連れて行ってもらったことによりジャニオタ化した。
しかし親戚のお姉さんというのはそうそう会えるものではない。何せ携帯電話も何も無かった時代なのだ。連絡を取りたいと思っても親に頼むしかない不自由さに私は焦れた挙句中学入学を機にFCに入会することにした。
そこで共にコンサートに行くことになったのが亀子である。東京ドームまで片道一時間はかかる片田舎に暮らす私達をコンサート(しかも年末年始)に行くことを親が許したのは共に行くのが幼馴染だったからというのが大きかったのではないかなと今では思う。
そして亀子と二人でKinKiコンに行くこと数年、光一よりは剛が好きだと言っていた彼女は唐突に「この子が好きなんだ」と私に雑誌を見せてきた。
そこに載っていたのはまだまだ全然あどけなさが残る亀梨和也だった。
率直に言おう。その時の私の感想は「ガキじゃん」の一言だった。
それなら私はその横のこっちの方が好きだわと指差したのは赤西仁。KinKiの完成された顔に慣れていた私には当時のカメの良さが今一つ分からなかったのである。しかし当時の写真を見る度にやっぱりこのカメを可愛いと言い張った彼女は中々すごいなと改めて思う。
そして亀子は今の言葉でいう「担降り」をしたのだった。それ以来ずっと彼女は一途に亀梨和也を見続けている。
私はその頃POPJAMという光一さんが司会をやっていたNHKの番組に結構な頻度で参加していた。そしてその日、そうKAT-TUNKAT-TUNというグループになった日を直接あの会場で見たのだ。私はずっと「亀子!!!!」と心で彼女を呼んでいた。
その知らせを聞いた亀子は「かとぅーん」と大切そうにその名を口にしていた。「KAT-TUN亀梨和也です。って挨拶するのかぁ」なんてちょっと照れた様子で言っていた。
私はそんな亀子に「仁は二番目だから言わなくてもいいのにKAT-TUN赤西仁です、って言いそうだよね」なんて言って笑っていた。

ずっと、こうしてKinKiとKAT-TUNは続いていくんだと思っていた。
SHOCKがまだ今みたいな形になる前、KAT-TUN光ちゃんのバックについてたあの頃、私と亀子は赤西仁と握手をしたことがある。Jrが客席に降りてくる演出だった。
舞台では声を出してはいけないというマナーを必死で守ろうとした私達は最終的にお互いの太ももをつねることで我慢した。
あの瞬間のときめきは今でもありありと思い出せる。本当に好きだった。
このまま6人でKAT-TUNとしてずっと存在していくんだと信じるというよりも、疑わなかったから何も考えなかった。
本当にまさかメンバーが抜けて半分になって10周年を迎えて休止するなんてそんなこと予想もしていなかった。
KinKi自体も確かにグループとして色々あった。何度もこのまま解散するんじゃないかと思って泣きはらしたこともあった。
それでもKAT-TUNに対しては何だかんだ言いながら6人でわちゃわちゃやっていくんだと思っていた。
仲良しこよしじゃないからこそ、続いていく絆があるんだと。
いつかSMAPとKinKiみたいな距離感がKinKiとKAT-TUNでも見れたらいいななんて思っていた。
それがいつからこんなことになったのか。
コンサート中に外さないサングラス、トロッコにしゃがみ込みスタンドからは全く見えない彼の姿に戸惑っていたのはファンだけじゃなかったことも今となっては充分理解出来る。
腫れ物に触るようなあの雰囲気は言ってしまえば地獄みたいなものだった。
「しんどい」と漏らした彼女の一言は心からの本音だったんだろうなと思う。
だから彼が最初にグループを脱退すると聞いた時、「ああ良かった」というのが正直なところだった。
一人でも脱退すればグループにとっては痛手かもしれないけど、それでも彼はKAT-TUNの中にいちゃいけないともう分かっていたから。
そうして彼はグループだけでなく事務所からも去っていったけど私はこれでもう安泰だと思っていた。
だけど結局KAT-TUNは3人になったし、グループとしての活動はしばらくしないという決断を彼らは下した。
解散しない為の充電期間だということは重々承知しているけど、確実なことなんて何一つないということをKAT-TUNというグループが最初に教えてくれたのだから世の中って皮肉だな。

10Ksのオーラス日、天井席から見る赤いペンライトの光はすごく綺麗で、横の幼馴染をそっと見たら彼女は静かに泣いていた。
こんなに長いこと一緒にいたのに、彼女が泣いている姿を見るのは初めてでその瞬間私もまたどうしようもない程涙がこぼれていた。
寂しいなー。充電に入るだけなのにすごく寂しい。解散じゃないし、個々での活動はあるというのに『KAT-TUN』というグループの拠り所が無いとこんなにも不安になるものなのか。

どうか中丸くんが「大体2年」と言ってくれていたその期間で充電期間が終わって彼ら3人が笑顔でまたステージの上に立ってくれますように。
そして私の幼馴染が笑って彼らを迎えることが出来ますように。